- ドジャースは日本人選手が多い球団?
- 過去何人の日本人選手がドジャースに在籍した?
- ドジャースに在籍経験のある日本人選手を知りたい
大谷翔平選手、山本由伸選手が立て続けに入団発表し、大きな話題となっている、ロサンゼルス・ドジャース。ドジャースには過去多くの日本人選手が在籍していました。
そこでこの記事では、ドジャースの歴代日本人選手をご紹介します。
野茂英雄(1995~1998年、2002~2004年)
記念すべきドジャースの日本人選手第1号は「ドクターK」こと、野茂英雄選手です。
日本では、1989年のドラフト会議で8球団競合の末、近鉄バファローズに入団。1年目から投手四冠(最多勝・最優秀防御率・最多奪三振・最高勝率)を獲得し、沢村賞にも輝きました。
以降、NPB史上初となる、新人年から4年連続最多勝・最多奪三振のタイトル同時獲得を達成するなど、球界のエースとして君臨します。しかし、1994年のシーズンオフ、近鉄球団や当時の鈴木啓示監督との確執により、近鉄を退団、メジャー挑戦の道を選びます。
1995年、ドジャースに入団すると、いきなり13勝を挙げ、236奪三振で最多奪三振のタイトルを獲得。ドジャースの地区優勝に大きく貢献しました。
メジャー2年目の1996年には、なんとノーヒットノーランも達成。勝ち星も前年より伸ばし、チーム最多の16勝を挙げました。
1997年にも14勝をマークした野茂選手は、1998年以降、メッツ・カブス・ブルワーズ・タイガース・レッドソックスを経て、2002年からは再びドジャースでプレーします。
開幕投手を務めた2003年には、メジャー通算100勝をマーク。結果的に2004年までドジャースに在籍しました。
日本人メジャーリーガーのパイオニア・野茂。彼の存在がなければ、現在の日本人メジャーリーガーの活躍もなかったかもしれません。
石井一久(2002~2004年)
野茂選手に続く、ドジャースの日本人選手2人目が石井一久選手です。
日本では高卒新人ながら、いきなり日本シリーズで先発を務めるなど、能力の高さを評価されていた石井選手。1990年代、ヤクルト黄金期の主力選手として、4度の日本一に貢献しました。
2002年からドジャースでプレー。石井選手のドジャース入団と、野茂選手のドジャース復帰のタイミングが重なったため、野茂選手とともに入団会見を行いました。
1年目からいきなり14勝を挙げると、2003年9勝、2004年には13勝をマークします。
結果的に、ドジャースには3年間在籍。「バッターボックスの直前まで球種の判別ができない」と評された決め球スライダーを武器に36勝を記録しました。
木田優夫(2003~2004年)
2003年・2004年にドジャースに在籍していたのが、木田優夫選手。
しかし、巨人やオリックスで、先発・中継ぎ・抑えと幅広い役割をこなした日本時代と比べて、目立った活躍はできませんでした。
中村紀洋(2005年)
2005年に在籍したのが中村紀洋選手です。
日本時代、近鉄バファローズの主軸を務めていた中村選手は、浪速のホームランアーチストとして、豪快なバッティングでファンを魅了しました。
しかし、ドジャースではわずか17試合の出場にとどまり、結果を残せませんでした。翌年2006年には、日本球界に復帰しています。
斎藤隆(2006~2008年)
2006年~2008年には斎藤隆選手が在籍していました。
日本では、大洋・横浜で14年間プレー。先発だけでなく、抑えの役割もこなしました。プロ野球選手としては比較的高齢の36歳という年齢でメジャー挑戦を決意します。
1年目の2006年、抑えのエリック・ガニエ選手が右肘を痛めたため、抑えに抜擢され、結果的に24セーブを挙げました。
翌年の2007年には、さらにセーブ数を伸ばし、39セーブをマーク。オールスターゲームにも出場するなど、メジャーリーガーとしての地位を確立していきました。
メジャーでは、日本時代のストレート自己最速(153km/h)を大きく更新する159km/hを記録、進化し続けた斎藤選手。ドジャース在籍3年間で81セーブを挙げました。
黒田博樹(2008~2011年)
斎藤隆選手と在籍時期が被っているのが、黒田博樹選手です。
広島東洋カープでは5年連続開幕投手を務め、そのタフさから「ミスター完投」と呼ばれました。
広島のエースとして活躍した黒田選手。シンカー・スライダー・スプリット・カーブ・カットボールと様々な球種を操り、ドジャースでもローテーション投手として腕を振り続けます。特にスプリットの評価が高く「現役最高のスプリッター」と評されました。
好投しても打線の援護に恵まれない試合が多く、思ったように勝ち星は伸びませんでしたが、投手としての高い能力をメジャーでも見せつけました。
前田健太(2016~2019年)
黒田選手に続き、広島のエース・前田健太選手がドジャースに入団します。
日本では沢村賞に2度も輝くなど、数々のタイトルを獲得してきた前田選手。ドジャースではデビュー戦で先発勝利を記録、さらに打者としてもデビュー戦でホームランを放ちました。
結果的に1年目の2016年は、16勝をマーク。翌年の2017年には13勝、2019年にも10勝と、ドジャース在籍4年間で3度の二桁勝利を記録しました。
ドジャースでは先発に加え、ポストシーズンを中心にリリーフとして起用されることも。また、ピッチング以外の能力も評価され、代打や代走でも起用されていました。
ダルビッシュ有(2017年)
前田選手が尊敬しているプレイヤーとして公言しているのが、ダルビッシュ有選手。
ダルビッシュ選手も短い期間ではありますが、ドジャースに在籍していた時期がありました。
2017年7月31日、トレードによりドジャースに移籍してきます。ドジャースでは9試合に登板し、4勝をマーク。前田選手とともに29年ぶりのリーグ優勝に貢献しました。
筒香嘉智(2021年)
筒香嘉智選手も短期間ドジャースに在籍していた選手です。
2021年5月にトレードでドジャースに移籍。しかし、わずか12試合の出場にとどまりました。同年の8月にはパイレーツに移籍しています。
大谷翔平(2024年~)
2024年からドジャースに加入するのが、大谷翔平選手です。
日本球界で前例のない二刀流、否定的な意見もありましたが、投打で結果を残し、北海道日本ハムファイターズを日本一に導きました。
2018年からはメジャー挑戦、エンゼルスでプレー。メジャーでも二刀流は威力を発揮します。特に2021年以降は投打で素晴らしい成績を残しました。
投手成績 | 打者成績 | |
2021年 | 23登板9勝2敗 防御率3.18 | 打率.257 46本塁打 100打点 |
2022年 | 28登板15勝9敗 防御率2.33 | 打率.273 34本塁打 95打点 |
2023年 | 23登板10勝5敗 防御率3.14 | 打率.304 44本塁打 95打点 |
2023年の44本塁打は日本人、さらにはアジア人初となるメジャーでの本塁打王です。
シーズンMVPも2回(2021年・2023年)獲得するなど、メジャーを代表する選手となった大谷選手。2023年に行われた第5回WBCでも、投打に渡る活躍で侍ジャパンの3大会ぶり3度目の優勝に大きく貢献しました。
アメリカとの決勝戦、エンゼルス時代の同僚マイク・トラウト選手を空振り三振に仕留めたシーンは、WBC屈指の名場面といえるでしょう。
大谷選手が二刀流で結果を残し続けた一方で、エンゼルスは毎年のように借金生活。勝利に飢えた大谷選手が、常勝軍団・ドジャースに加入し、どのようなパフォーマンスを見せるのか楽しみで仕方ありません。
山本由伸(2024年~)
大谷選手に続き、ドジャース入団を決断したのが、日本最強エース・山本由伸選手です。
2017年、高卒1年目から一軍で先発し、プロ初勝利を挙げた山本選手。9月には大谷選手と対戦し、なんと「今年(2017年)、対戦した投手で一番」と大谷選手から称賛されました。
2021年から2023年には、3年連続沢村賞を獲得する活躍でオリックス・バファローズの3連覇に貢献。3年連続沢村賞は、金田正一氏に次ぐ史上2人目の大偉業です。
ドジャースへの入団を決断した山本選手。ドジャースと山本選手の入団交渉には、大谷選手も同席していました。さらにはドジャースの中心選手、ムーキー・ベッツ選手、フレディ・フリーマン選手も出席していた豪華面談。山本選手が心揺さぶられたのは間違いないでしょう。
日本のエースが屈強なメジャーリーガー相手にどのような投球を披露するのか、楽しみにしましょう。
まとめ
大谷選手・山本選手の加入により、注目度抜群のドジャース。日本人選手の活躍からますます目が離せません。
ここまで読んでいただきありがとうございました。